SR500/SR400物語 |
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堀ひろこ & ロードボンバー |
名車ヤマハSR500が生まれるきっかけとなったバイク・・その名は 『ロードボンバー』 それは1977年バイク雑誌「moto Rider」の4月号のグラビアから始まった・・ 当時雑誌といえば「オートバイ」「モーターサイクリスト」が2強で中身は宣伝が多く、分厚く、内容も堅いものであったが この「moto Rider」誌は薄手のつくりでリーズナブルで内容も楽しいユニークな雑誌であった。 巻頭のカラーグラビアにスクープ!ヤマハのニューモデル!名前は『ロードボンバー』 おおーマジ?かっこいいー!!と私も何十回もその写真を見つめたものでした。 マルチエンジン全盛時代に単コロ500ccのカフェレーサースタイルのロードバイクの登場! イエローカラーにシングルシート、XT500のエンジンを流用したという黒塗りの空冷単気筒500ccを搭載 当時売れるスポーツは4気筒エンジンしかないというメーカーの常識の中、ヤマハはすごいチャレンジ魂を見せたのだ。 以外や反響はものすごく、ヤマハに問い合わせが殺到したという。 ところがなんと、、それはエイプリルフールに掛けた雑誌社のジョークだったというのです。。シンジラレナーイ! 翌月謝罪文が載ったのでした・・ しかーし、瓢箪からこまといいますか、世論に後押しされるようにその1年後、SR500のデビューと相成りました。 流石にカフェレーサースタイルではないものの、それまでなかったビックシングルロードスポーツの誕生となったことは快挙でした。 まさしくバイクファンが作り出した市販車という意味では唯一のバイクではないでしょうか。 またこの後もかつてないロングセラーモデルとなり名車の1台となっていったこともすごいことでしょう。 詳しい歴史が書いてあります↓ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 そして、77年その夏に開催された鈴鹿6時間耐久レースに伝説の美人ライダー「堀ひろこ」さんと「ロードボンバー」という絵に描いたような組み合わせで参戦したのです。それでなんと総合18位で完走したのもすばらしいものでした。 そのレースを私が観戦した時に撮った思い出の写真をアップしてみました。 ゼッケン39がロードボンバーと堀ひろこさんの勇姿です。 蛇足ですが、この堀ひろこさんに憧れ、バイクを愛し全国ツーリングをしながらバイク雑誌にツーリングリポートを執筆していたのが三好礼子さんで、当時はただのバイク好きな小娘といった感じでしたが、あれよと有名人になりTVレポーターにまでなっていったのも快挙?!驚いたものでした。 注)私の記憶をさかのぼって書いていますので、多少の間違いがありかもしれません |
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